2022年10月1日、アントニオ猪木氏が逝去されました。
私は生粋のファンではないかもしれませんが、私自身が死ぬまで忘れることが無い方だと思っています。
アントニオ猪木さんについて、思うことなどをまとめました。
アントニオ猪木氏の経歴
- 1943年神奈川県横浜市生まれ
- 貧困から猪木氏13歳のとき(1956年)ブラジルに移住
- 1960年(猪木氏17歳)プロレスラーの力道山からスカウトされ日本プロレスに入団
- 同年、本名の猪木寛至としてプロレスデビュー
- 1962年(猪木氏19歳)、リングネームを「アントニオ猪木」に改名
- 1963年(猪木氏20歳)、師匠でありスカウトしてくれた力道山死去
- 1964年(猪木氏21歳)アメリカに武者修行
- 1966年(猪木氏23歳)日本プロレスを退社、プロレスラーの豊登氏らとアントニオ猪木をエースとする「東京プロレス」を立ち上げ、しかし3ヶ月後に倒産。日本プロレスに復帰。
- ジャイアント馬場とタッグを組み活躍(BI砲)、しかし馬場との対戦ができない(当時、日本人対決がタブーであった)日本プロレスの経理が不透明なことなど会社との確執から1971年(猪木氏28歳)に日本プロレスから追放処分を受ける
- 1972年(猪木氏29歳)新日本プロレス設立。当初は厳しい経営状態であったが、数々の話題性のある試合で人気を博し、プロレス黄金時代を築く
- 1976年(猪木氏33歳)これまで数々の異種格闘技戦も実施してきたが、ついにボクシング世界ヘビー級王座モハメド・アリとの試合を行う。(世界各国で中継される)
- 1980年代、数々の興行を行っていく中1988年(猪木氏45歳)IWGP(世界統一タイトル)で挑戦者として戦った決勝戦で60分時間切れの引き分けとなった。
- 1989年(猪木氏46歳)「スポーツ平和党」を結成して参議院選挙に出馬。見事に当選。同年、公演中に暴漢に刃物で襲われ頸部など負傷するも、そのまま傷口をタオルで押さえたまま公演を最後まで行った。公演後「アトラクションにしては痛てーな」と語る。
- 1994年(猪木氏52歳)参議院選落選
- 1998年(猪木氏56歳)東京ドームで行われたドン・フライとの試合をグラウンド・コブラツイストで勝利。プロレスから引退した。
- 格闘技のプロデューサーとして活躍。
- 2012年(猪木氏69歳)キューバ友好勲章を授与される。
- 2013年(猪木氏70歳)参議院選出馬。当選。
- 2019年(猪木氏76歳)選挙に出馬せず、引退を表明。同年、『ジャイアント馬場没後20年追善興行』に来場し試合前にあいさつ。ジャイアント馬場関連イベントに登場するのは初。
- 2020年(猪木氏77歳)、「心アミロイドーシス」という難病におかされていることを告白。
- 2021年(猪木氏78歳)、正式な病名は「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」だと公表。
- 2022年10月1日逝去(79歳)
私の記憶にあるアントニオ猪木
私の知っているアントニオ猪木は1980年代〜90年代の姿です。当時小学生だった私は、学校から帰ってきたころにテレビ中継されているプロレスを見ていました。
ですが、そこまで熱心なプロレスファンではありませんでした。当時は小学生仲間のなかで「プロレスは八百長だ」と話しており、正直な話しプロレスをバカにしていたこともありました。
また、当時のスター選手は長州力や天龍、グレート・ムタ、蝶野などで、アントニオ猪木の試合はあまり見たことがアリませんでした。
ですが、どの試合か覚えていませんが、猪木がスリーパー・ホールドで失神しそうな時に、観客の猪木コールで復活していくところに、こっそりと胸を熱くしたことを思い出します。
アントニオ猪木で知ったプロレスの楽しみ方
その後、格闘技はK-1に代表されるような新しい、リアルファイトが人気を博し、プロレスは見ることが無くなりました。
ですが、これもいつのことだか忘れてしまいましたが、アントニオ猪木のある映像で「プロレスは八百長だ!」という考え方がそもそも違うことに気づきました。
あるテレビ番組でアントニオ猪木がお風呂に入っていました。ですが、よく見ると、そのお風呂の中には氷が入っていました。
アントニオ猪木は付き人に声を掛け、もっと大量の氷を風呂に入れさせて、「いい温度だ」と言いながら満足そうに入っていました。
「アントニオ猪木の中にある闘魂が熱すぎて、氷の風呂に入っている」のです。
リアルファイトなどどうでもよく、このような物語を視聴者に感じさせてくれるのがプロレスラーなのです。徹底的にファンを楽しませてくれる。そのためには氷の風呂にも入る。まさにプロです。(もちろんアントニオ猪木さんは本当に氷の風呂が気持ちよかったんだと今では信じています)
もしかしたら嘘かもしれないですが、その嘘を信じる。その世界観の人物を演じきってくれるのがプロレスラーなのだと実感しました。
人生に彩りをあたえてくれる方法をアントニオ猪木さんに学んだと思っています。
アントニオ猪木は本当に強かった(総合格闘技のパイオニア)
「猪木アリ状態」という言葉をご存知でしょうか。
私は漫画(バキシリーズ)で知りました。
これは1976年、アントニオ猪木とボクシング世界ヘビー級王座モハメド・アリとの試合での二人の状態が総合格闘技の一つの状態として一般名称となったものです。
立ち技(ボクシング・キックボクシング・空手など)を主体する選手と寝技(柔道・柔術・レスリング)を主体とする選手が戦う時、立ち技側は立って打ち合いたい、寝技側は投げたり関節技をかけたい。その場合、立ち技側が立っていて、寝技側が相手に足を向けた状態で寝ている状態になります。
これを猪木アリ状態といいます。
アリは現役のボクシング世界チャンピオン、つまり立ち技の世界一です。一方猪木は投げ技や関節技も持つ選手です。
試合中、猪木は寝ている状態から、アリの足を蹴っていきます。ですがなかなか当たりません。一方アリはボクサーであり蹴り技は使えません。そもそも足を向けて寝転がっている相手にパンチを出すことができません。
当時、格闘技の世界でこの状態は世界初の出来事でした。観客からは、猪木が寝ているだけ、アリも立っているだけ、お互いになんとなく挑発しているだけなので、この試合は「世紀の凡戦」と言われました。
ですが二人共まさにリアルに戦おうとして、お互いの特徴から自然と出来上がった形で、今では当たり前のようにこの状態の試合があります。
当時、新しすぎる戦い方だったようですが、ボクシング世界チャンピオンと戦い、引き分けたアントニオ猪木は体力・技・戦略という3点の総合力で本当に強かったのだと思います。
この猪木とアリの試合ですが私が知っている限り、「格闘技世界一(四角いジャングル)」というDVDに収録されているだけです。
下記はそのDVDの広告です。(私がこの猪木アリ戦を見たいと思いつつ、しばらく収録DVDを見つけられなかったので、リンクを貼らせて頂きます)
その他、中古なども多く出回っているようです。興味がある方はご覧になってください。
また、このDVDに収録されている猪木VSアリ戦は随分編集されています。12ラウンドほぼ寝ているだけの状態なので仕方が無いかもしれませんが、もしも試合すべてが収録されているDVD等があれば教えて頂きたいです。
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元気があればなんでもできる
アントニオ猪木の訃報を聞き、その人生や私の記憶を辿ってみた時に、こんなにパワフルな人がいると勇気が湧いてきます。
なにかしら言い訳をして、行動しない自分に喝を入れられた気がします。
「元気があればなんでもできる」この言葉を胸に刻みたいと思います。
最後にアントニオ猪木が試合後に語った有名な詩を掲載します。
この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ
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