太宰治の書籍を紹介したいと思います。
2つとも青空文庫に収録されていますので楽天koboなどで無料で読むことができます。
太宰治の作品はどれも「暗い」イメージがあるかもしれませんが、これから紹介する作品はエンターテイメント性が高く、適度に皮肉も効いている作品だと思います。
太宰治 略歴
太宰治(だざいおさむ)は明治42年(1909年)青森県で生まれた作家です。昭和8年(1933年)頃から執筆活動をおこない「走れメロス」「斜陽」「人間失格」など執筆。昭和23年(1948年)で入水自殺。
駈込み訴え 感想
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
冒頭、このように始まります。このままずっと訴えが続き、我々は黙ってその訴えを聞く(読む)だけですが、読んでいるうちに、これがいつの時代なのか、訴えている人物(喋り続ける人物)は誰を訴えているのかわかります。
訴えている人物をAさん、Aさんが訴えている人物をBさんとします。
Bさんは大勢の弟子と旅をしています。Aさんもその弟子の一人です。ですがAさんは、どうもBさんに軽蔑されていると感じています。
Bさんの弟子の多くは精神的で高尚な考え(例えば天国について)などについてBさんの考えに共感しています。また、そのような高尚な話を村々で行い信者を増やしています。そんななかAさんは村での滞在費用・食事代などを工面しなければなりません。村々で高尚な話をするたびに、Aさんは集まった群衆からお布施をもらっていました。ですが奇跡を起こせる(はずの)Bさんはそのような工面が気に入りません。
また、Bさんはたまに無理難題を言います。自分たちの食べ物さえ満足にないときに「民衆に食事を与えよ」と言います。Aさんはやはりあらゆる工面をして民衆に食事を与えましたが、これはすべてBさんの行った奇跡として語り継がれていきます。
それでもAさんは良いのです。AさんもBさんのことを好いています。Bさんへの不満ももしかしたら他の弟子たちとの待遇の違いによる嫉妬かもしれない。ある時、Bさんに優しい言葉をかけられてときは感涙しました。
ある村で、ある女で出会うまでは、Bは私から女を奪った。いや、女が私からBを奪った・・・・・
もったいぶって書いてみましたが、誰について訴えているかは、人によっては2ページ目でわかるとおもいます。あの絵画の場面の前にこのようなやり取りがあったのか・視点を変えれば、訴え人の言いたいこともわかると思います。無料(青空文庫)なのでぜひお時間がある時に読んでみてください。多分10分ぐらいで読めると思います。
「お伽草紙」収録のカチカチ山 感想
カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男。
としてカチカチ山のお話を再構築しています。
太宰治さんのお子様が「たぬきさん可愛そうね」ということから着想を得たようです。当時、絵本の内容は少しずつ変わっていました(昭和初期からこの流れがあったようです)以前の絵本では、狸はお婆さんを殺して、ばばあ汁なるものを食べていたようです。ですが近年(昭和初期)では、狸がお婆さんに引っかき傷をつけた程度。狸も生きるために必死で逃げ出した結果、引っかき傷をつけてしまっただけなのに、その後、大やけどを負わされ、やけど箇所には唐辛子を塗られ、最後は泥舟でぶくぶく・・・狸に与えられる仕打ちがあまりにも理不尽ではないか。ということです。
これを美しい少女(若さゆえの残酷さも持っている)と甲斐性なしの醜男(美しい少女に恋をしている)に当てはめると・・・・・
私は「甲斐性なしの醜男」側の人間なので、物語を読みながら、激しく同意することもあるのですが、みなさまは如何でしょうか。
私は物語最後に太宰治から投げかけられる言葉が忘れられません。
古来、世界中の文学の哀話の主題は、一にここにかかっていると言っても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であった。おそらくは、また、君に於いても。後略。
まとめ
どちらの本も短いですし、なによりも無料で読めます。私だけかもしれませんが、読んでいても古い小説という感じがしない。今の感覚にマッチしているような気がします。ぜひ読んでみてください。
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